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井上ひさし、大江健三郎、筒井康隆が丁度50歳を迎えるかどうかという時に書かれた本です。
この3人ってほぼ同い年なのですね。知らなんだ(;・∀・)
季刊「へるめす」の創刊記念として、第1章の「ユートピア探し 物語探し―戦後文学をどう考えるか」
「へるめす」1周年記念として、第2章「小説の面白さ―イマジネーションと言葉の力」
「へるめす」3周年記念として、第3章「文学の未来に向けて―僕たちの生きてしまった時代から」
3部構成で、3人の対談形式で話が進んでいきます。
3人の小説論かと思って、本を読む上での参考に・・・と図書館で借りてみましたが、本書に書かれているようなことを考えて本を読んだことなどないので、参考になどなりませんでした。作家ってやっぱりスゲー。
物語を書く時、パロディーやなんかで一般人に分かりやすい様に落とし込んでくれてたりするようです。自分が面白いと思ったものを若い世代に伝えたいんですって。自分の本を読んで若い人が元ネタに興味を持ってくれたら良いという思いがあるそうで。ありとあらゆる知識がないと書けませんね・・・って思いました。私、これを読んで、作家が書くものに関しては、つまらん文句は言わんとこう・・・ともちょっとだけ思いました(;・∀・)
本書のテーマはタイトル通りなのですが、3人が何を話すのか興味深く読みました。小難しいことを書いている部分もあるのですが、議論を戦わせるというより、おのおのの作家としての確認作業みたいな話でした。
「今回のシンポジウムは最初の遺言大会になりうるように思います(笑)」と冒頭で大江健三郎が言っているように、年齢を重ねてこれまである程度の仕事をしてきた3人の、これまでの仕事、これからの仕事、同時代、次の時代へのメッセージ。本書は1988年に発行されていますが、この6年後に大江健三郎がノーベル文学賞を受賞・・・という時系列です。
読んだ感想としましては、このクラスの作家になると、共通認識としての考え方があるのだなぁとビックリしました。大江健三郎「同時代ゲーム」について、大江健三郎自身は失敗だと思っているようですが、井上ひさし、筒井康隆は決してそんなことはない・・・と言っていたり。
フィクションとノンフィクションの話なんかも面白かったです。ノンフィクションがそもそもフィクションだっていうのね。
文章にすると、接続詞が入るわけで、接続詞が入るということはもうフィクションだって仰っているのです。ノンフィクションとして書かれたものも、著者の考えみたいなもんが入るわけで、それはもうフィクションなんじゃないかと。作家の苦悩も垣間見えます。大衆文学、純文学の考え方、全体小説の話、パロディやマンネリの話など、「へー」と思うことが度々ありました。
第二章以降も、面白かった・・・というか、まぁプロの書いた物なので当然なのです。面白くて当然って、これは本書でも筒井康隆が言っていて、目からウロコでした。
小説が面白いのは当然なんですって。その辺りのことも詳しく書かれているので、ご興味がある方は読んでみてね(n*´ω`*n)
こういう本を読むと特に思うのですが、ほんとつくづく、素人が文章を書いたりして日記ブログをやるなんてのは、難しいなぁと思いました。普段私は物語を読むので、物語を読んでもそう思うのですが、こういったプロの舞台裏を読むと、自分が文章を書いていることがちゃんちゃらオカシイのです(;・∀・)
プロじゃないんだから仕方が無い・・・なんて思えないというか、読む価値が無い・・・と身も蓋もないことを言ってしまえばそれまでなのですが、読む時間が勿体ないのですね。いやはや、読んで貰って申し訳ない(´・ω・`)
ブログ運営でよく言われる所の、「人の役に立つ記事を書いて検索流入を増やそう」というのは、色んな意味で理にかなっているなぁと思いました。
(´-`).。oO(でも、また良かったら当ブログを読んで下さいね・・・と言ってしまう矛盾(´・ω・`)