40代底辺女の貧困生活

月給15万で・・・貯金ナシ、年金ほぼナシ、資産ナシの母親を養っています。ボロ賃貸暮らし。2019年給料が上がり月給18~20万前後になりました。

間借りしているオッサンのブログ 前に進めないオッサンの グダグダ放浪記

【オッサンのブログ】その優しさは賄賂だったオッサン

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オッサンで先生の僕です。

 

常食している糖質80%OFFのローカーボパスタがなくなってしまい、また買おうと思うのですが、楽天のページをみると、いつも買っているところの商品ページが同じ内容で二つに増えていました。同じ商品を売るページが二つあるのです。違いは値段でした。

 

一方の商品ページでは、通常よりも2000円ほど安い値段が記載されており、販売期間前、との表記、そして販売開始は3月の初旬に設定されていました。

 

 

楽天スーパーセール用のページだな、と思い至りました。なので、それまでは買わずにセールで安くなってから買おうと思っていますが、それまでどうやって糖質制限での食事をやりくりするか悩み中です。

 

大豆粉を混ぜたお好み焼きと、糖質オフのすき焼きのタレを使った豚すき焼き、それ以外にも何か常食できて糖質の低いメニューがあればなと思い、麻婆豆腐にしました。

 

麻婆豆腐とは言え、ニンニクも豆板醤も片栗粉も使いません。買ってあった豆豉と母親自作の赤味噌、豚ひき肉と白ネギ、あとはチューブの生姜と塩と水だけで豆腐を炒め煮して作りました。低糖質・低コストの麻婆茄子ならぬ、肉味噌豆腐とでも言った代物です。美味しいですよ。

 

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日々、特にこれといった出来事も起こらないのでブログに書くようなことは何もないのですが、生きている以上、何かはしていますから、何かは考えています。でも、昨日の今頃自分が何を考えていたのかは分かりません。

 

もう耳にタコかも知れませんが、この1月末から仕事に出勤するようになる前までの1年弱ほどは無職でした。今思うとその頃、その無限とも言える時間をどのように過ごし何を考えていたのかは分かりません。ただ、本当に何もない日々の連続でした、「生きるために食べる」以外の何もしていませんでした。

 

そんな日々ですから、普通の人にとってはどうでもいいようなことや、取るに足らないことなどを、その時の僕はとても重要視していたように思います。針小棒大とでも言うんでしょうか、近視眼的とも言うんでしょうか、小さな小さなことが僕にとってはとても大切なことのように思えていました。

 

例えばお風呂に入るとか、スーパーに買い物に行くとか、乾いた洗濯物を所定の引き出しに入れるとか、たった数十人しかフォロワーがいないTwitterを更新していいねが3つ付いたとか、そういった雑事の一つ一つが、僕にとっては生きている証のように感じていました。

 

自分のTwitterを見返してみると、家の中に小さな蜘蛛がいたということを仰々しく写真付きでアップしているんです。そして、孤独だと嫌いな虫にすら愛おしさを感じて、まるで自分の同居人のようだ、好きなだけここにいていいよ、というようなことを書いているんです。

 

また別の日には、全く関係ない二つの入れ物があって、こっちの入れ物の蓋を、別のこの入れ物に被せてみたらぴったり嵌った、ということの奇跡に喜び、動画にしてアップしていました。

 

その他、やれこんなお菓子を買った、やれブロッコリーがいつもより30円安かった、朝起きてカーテンを開けた、夏が始まった等々、本当にどうでもいいようなことをアップし、いくつかのいいねが付いたり付かなかったりという日々に、その時はとても満足していたように思います。そして今でも、自分のそうであった日々のことを悪く言うつもりはなく、むしろ心のどこかではまた戻りたいとも思っているのです。

 

一般的にそういう、無職という社会からの孤独、無限の時間の中で取り残されたような孤独、働いていないのに生きている自分と向き合うような生活、といった経験をしたことがある人がどれぐらいいるのか、またいたとしてもその時に何をどう考え、感じ、過ごしていたかは分かりませんが、僕個人的には、そういった時期を経験することによって謙虚になれた、自分以外の人に優しくなれた、お金を大切にするようになった、人の役に立ちたいと思うようになった、大金持ちになるよりも、生活に必要な分のお金を稼ぎ、小さな幸せを積み重ねていくような暮らしの方が人生として豊かなのではないかと思うようになった、健康であること以上の何かを望むのは贅沢なのではないかと思うようになった、そして、どんな時も自分を見放さなず、見限らずにいてくれる人のありがたさを思い知りました。

 

それ以前の自分はどうであったか、それなりのお金を稼ぎ、平均以上のお金を稼ぐ自分を誇り、そこから生まれる心の余裕から人には優しかったけれど、その優しさは今思えば嘘のようなものでした。人に優しくできる自分が好きなだけでした。優しくすることで他人から好かれたいだけでした。目の前で困る人を見たくないから優しくしているだけでした。いわば、お金を払って便宜をはからせ、忖度を強要する賄賂のような優しさでした。そしてそれが自分の限界だと思い知ったのです。

 

そういう時期を経て、今また働きに出ています。生活のためにお金を稼がなければならないからです。そして人の役にも立ちたい。でも、心のどこかで違和感を感じています。生活のためにお金を稼がなければならないことと、人の役に立つことでお金をもらうことにです。可能なら、お金を稼がずに生活ができれば良い、そして無償で人の役に立ちたいと思うのです。


だから、誰か一億円くれませんか?
よろしくお願い致します。
m(_ _)m

 

 

 

 

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